親日国としても有名なトルコ。外務省の調査によれば、80%以上のトルコ人が日本に好意的な印象を持っているという。

 実際にトルコの街を歩いていても十二分にそれは感じられる。「日本人」と答えると、一様にみんな歓迎の姿勢を見せてくれる。「トルコと日本は兄弟だ」と言う人も多い。旅人をもてなす、というイスラムの教えも相まって非常に心地よく過ごすことができる。

 筆者の印象では、台湾と同等かそれ以上の親日国である。しかし、トルコ人の中での日本のイメージはどこから来ているのだろうか。難破したトルコ船籍の船と乗組員たちを助けたエルトゥールル号遭難事件から?それとも、やっぱりSONY?TOYOTA、HONDA?

 いえ、最近では「ハラキリ」なんです。

ボスポラス海峡にかかる橋

■現代のハラキリ事件

 それは、トルコで2015年に起きたとある事件がきっかけである。この事件は、ほとんど日本で報道がなされなかったので国内では知っている人は非常に少ない。しかし、トルコではかなりセンセーショナルに報道されたので、日本人のイメージを変えるほどの有名な事件となった。

 事件の内容は東京外国語大学のサイトにトルコの新聞の日本語訳があるのでその記事を見てみよう。

「イズミト湾架橋工事事故、日本人技術者が自殺『責任は自分に』」

 記事の概要は、こうだ。イズミト湾に橋をかける工事を日本の会社が請け負っていた。その際に、工事中の足場を作るためにロープ(パイロットロープ)をかけていたのだが、それが破断してしまい足場が壊れてしまった。そのことの責任をとって日本人技術者が自殺したのである。実際にその事故で亡くなったり負傷したものはいなかったにも関わらずである。

 さて、この事件、日本人の感覚からすると「責任を取って自殺する」ということの意味はわかる。私たちはそれが正しいか、正しくないかはともかく、歴史上、戦国武将にしろ、一部の政治家にしろ多くの人々がそういう死に方を選んできたことを知っている。負けたり、ミスをした侍は「腹を切る」。そう言った歴史は小学校の歴史の教科書にも載っている話であって、それほど驚くことではない。

 しかし、トルコ人からしてみると、この精神は非常に驚きをもって受け止められたのである。イスラム教国の自殺率は相対的に低い。イスラム教では自殺は「悪」とされるからだ。

 しかし、このことをトルコのマスコミは日本人は素晴らしい責任感をもっていると受け止め、好意的に報じたのである。そして、日本人はこの「責任を取って自殺する、ハラキリ精神」を持っているという意識が広まったのである(自殺であって実際にハラキリをしたわけではないが)。

観光客で賑わうバザール

 とあるトルコ人の友人は筆者に言った。

 「それくらい責任感を持って仕事をすること、それはすごいことだ。これは見習わなければ」

 彼の中では、この事件は「良いこと」となって映ったようだ。長いことフランスで教師をやっていた彼はいい意味で、「意識の高い」というか、「ノブレス・オブリージュ」的なタイプで、常にトルコをあらゆる面でその他のOECD先進国と並ぶようにしたいと考えている。

 彼はこうも言う。

 「トルコ人はトルコ人を信頼しない、トルコ人は責任を取らないし、大まかにはやるが細かくは適当だ。日本人はお互いを信用するだろう。それは責任感があるからだ」

 おそらくは、日本人に対するリップサービス込みであろう。だが、そのような意見はそこかしこで聞かれた。

国旗を掲げた街角のカフェ

■日本人に流れるハラキリ精神の源

 この事件で亡くなったこの技術者の方の責任感には敬意を表する。またハラキリと報道されたが、実際に亡くなった心中の本当の理由はわからない。本人が考えていたこととは違う報道のされ方をしている可能性もある。

 しかし、この事件とは切り離し日本人の持っている「ハラキリ精神」そのものについて考えてみると、そのような責任の取り方のバックに流れるのは「サムライ的考え」でありもっと言うと、侍の根本的精神である「朱子学」「儒教」の精神である。

 もともと、儒教の一種である朱子学は江戸幕府が侍を頂点とした規律を作るために好都合として導入されたものである。しかし、侍のためのものであった儒教的精神は、いつのまにか、緩やかに日本人の心の奥に根付いた。まるでみんなが侍だったかのように(人口比で言えば侍は1割以下程度しかいない)。

 滅私奉公的精神、いきすぎた年功序列、男尊女卑、それらの遺物は現代の日本社会においては今は大きな束縛になりつつある。現代の「働き方改革」の邪魔をしているのがこれらの遺物である。いきすぎた責任感はブラック企業やブラック労働につながる。「ハラキリ」は一見美しくあれど、非常に麻薬的で危険な概念である。

 いまでも先輩・後輩など儒教的な道徳にこだわる人々が一部いるのも、それが美しいからである。一見統制が取れ美しく魅力的に見えるものほど実に危険だ。離れていればいるほどそう見える。

 美しさに操られ人間らしさを失うなら、醜い方がいい。

 だから、筆者はトルコ人から、「ハラキリ精神の日本はすごい」と熱弁されるたびに、きまり悪いような気持ちになるのである。

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バイラルワークス 早川大地
1977年東京生まれ。アプリ・音楽・メディア制作を行う株式会社バイラルワークス代表。自身もエンジニア、音楽プロデューサーとしての顔を持つ。現在は東南・東アジア、欧州、中米など1~2カ月ごとに国を移り、十数カ国を渡り歩く「移住生活」を行っている。