前回の原稿[日本よ、「自分の足で立つ」志を思い出せ]で、西郷隆盛の言葉「政の大体は、文を興し、武を振ひ、農を励ますの三つに在り」を引用した。

 この言葉に最初に触れたのは、学生時代に「南洲翁遺訓」を読んだときだったが、今になって「これは実に国家運営の基本を示しているなあ」と痛感している。

 戦後の日本は、「農を励ます」ことに力を注いだ。農業自体は軽視されたが、西郷の時代の「農」は今でいう産業と解釈すべきである。偏った形であるが、少なくとも産業振興を目的に「文」もそれなりに興してきた。武の方は、米国からの要求に応じ、あるいは、応じるふりをして自衛隊を創設し、防衛政策もより積極的になった。それでも「自分の国は、自分の国でも守る」という、地域の消防分団でも当然とされる精神は、米国の圧倒的な軍事的保護を前提にしてしか、語られなかった。

 私が、学生時代に政治を志した頃は、バブル絶頂期であったので、自分の関心は「武」にかなり集中した。「文」の方は、人格教育や愛国心育成が足りないという意味で、問題意識はあった。しかし、バブルが崩壊し、人口が減少し、技術革新が振るわなくなった今となっては、「文」「武」「農」の根本を立て直さなければいけない時代に入った、と確信している。

 一言でいえば「国力増強」をしなければいけないのである。

 心ある人たちは、これを当然だと思っているかもしれない。しかし、まだ危機感は足りない。また、数年に一度、国民に成績表を突きつけられる政治家は、どうしてもその時々の世論の変化に左右されざるを得ない。その結果、目先の政策ばかり訴えてしまう。より安定的な職にある官僚の中には、長期の根本課題を憂えても、「右顧左眄する政治家に取り上げてもらえない」と押し黙ってしまっている。

 現状は、
1)「百年に一度の危機」といわれたリーマンショックと東日本大震災からの回復
2)世界景気の同じ頃からの持続的好調
3)アベノミクスの金融(とくに為替)・財政の刺激により、なんとなく日本の国力が回復している印象をもっている人すらいる。また、不安になればなるほど、楽観的な予想に飢えるので、いくら問題を指摘しても「危機をいたずらに煽る」と袋叩きにあう。

 何ごとも「機をみる」のが大事であり、ただ「正しい」ことを言っていてもしょうがない。とくに政治はそうである。私は愚かなので、ずっとこうした訴えをつづけてきたが、自分の思いが時代の主調にならないことも、やむを得ないと考えてきた。

 しかし、ここのところ機運が変わりつつあるように思う。

 国内経済の回復は、弱った基礎体力(人口、技術革新)からもはや限界にきている。世界経済も、今や調子いいのは米国だけだが、その大統領が世界経済を不安定にするような一方的な通商政策を実行しはじめている。さらに、我が国の金融・財政政策も、すべての政府主導の景気対策がそうであるように、刹那の効果しかない。もっとも救済的だった円安政策も、とうとうトランプ大統領に公式に批判されるようになった。これまでの経験からして、日本単独で為替水準を決めることはできない。米国の少なくとも黙認がなければ為替水準は成立しないので、円安政策の恩恵を受けつづけられるのが難しくなってきている。

 世界経済の崩壊について、数ヶ月前から、各国の識者が警鐘を鳴らしはじめている。とくに、リーマンショックの頃と違って、各国とも財政の蔵が空っぽであり、お金も最大限に放出しているので、さらなる刺激手段が厳しい。米国の中央銀行が、大統領からの圧力にもかかわらず、賢明に、また懸命に、金利上昇を断行しているのは、こうした事態に備えて、金融の武器を充填しているのである。

 国民の意思がなければ、政治は無力である。近いうちに世界経済の歯車が狂い、我が国の「モルヒネ効果」が切れる可能性が高まっている。禁断症状に苦しみながら、日本の国力の老化した、弱々しい、裸の姿が明確に浮かびあがるだろう。そこから、である。国民国家一体となって、「文」「武」「農」をふくむ国力増強に邁進しなければならない。

 天運があれば、私もこうした流れに参画していきたい。

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前衆議院議員 北神圭朗
1967年2月1日生まれ。大蔵省(現財務省)入省後、2005年の衆議院選挙で初当選。2007年のダボス会議で「ヤング・グローバル・リーダー2007」に選出。経済産業政務官、首相補佐官などを歴任。尊敬する人は大久保利通、勝海舟。著書は「国家の骨格」(象の森書房)など。