■我が国に爪痕を残した円高不況

 リーマンショックが起きてから今年の9月で10年がたちました。リーマンブラザーズという投資銀行による負債総額64兆円という巨額の破綻が引き金で起きた、この米国発の金融危機は、我が国経済に円高不況と失業率の上昇という大きな悪影響をもたらしました。

 当時1ドル=110 円近かった円ドルレートが年末には90 円台を大きく割り込む急激な円高ドル安が起きました。これが最終的には75円近くまでになり、平成24(2012)年末まで続いた超円高のはじまりでした。特に、その性格は各国の通貨に対して円だけが高くなるという「円の独歩高」でした。

 円高が輸出を阻み、倒産や、自国企業の生産拠点が海外に移転することにより、国内産業が衰退していく産業空洞化がおきました。当時、我が国では円安に誘導するために円を売ってドルを買う為替介入が行われましたが、効果は薄く、特に自動車などの輸出産業を中心とした産業界は辛酸をなめました。なんとかしてこの円高をなんとかしなければ、我が国からすべての工場が海外へ移転し、ものづくり産業がなくなってしまう、そう思ったのは私だけではないでしょう。

 エルピーダメモリのように会社更生法適用に追い込まれた大手企業もありました。エルピーダメモリの競争相手となったのはDRAMの韓国サムスン電子をはじめとした企業でした。韓国は産業政策が徹底しており、輸出促進のためウォン為替切り下げの政策を採っていました。特に、リーマンショック後、それ以前と比較して一時日本円とウォンが2倍近くウォン安になりました。その上、法人税、投資減免措置が与えられ国策でバックアップされているサムスンと競争して勝てるわけがありませんでした。

 金融危機の震源地である米国の鉱工業の生産額は約15%低下したのですが、わが国では実にその倍の30%以上も減少してしまいました。それはなぜだったのでしょうか。

■リーマンショックが日本に「感染」したのは日銀のせい

 我が国の完全失業率をみれば、リーマンショック前の平成20(2008)年上半期には約4%程度だった失業率は、翌年夏には5.5%とうなぎのぼりになりました。なぜ、米国発の金融危機がわが国にも大きな影響をもたらしたのでしょうか。

 破綻の直後には、我が国への影響は軽いと政府日銀当局は主張していました。事実、我が国の金融機関はサブプライムローンというリーマンの破綻の原因となった金融商品にはほとんど手を出していませんでした。だから金融機関への悪影響はないだろうというロジックでした。

 しかし、我々はその後、2009年7月に5.5%という戦後最悪の失業率に陥ってしまったことを知っています。なぜなのでしょうか。それは日銀が我が国経済が危機に直面しても諸外国とのおカネの増し刷り競争をしないという政策ミスをしたからなのです。

 ところで、ここでは景気の良し悪しを示す指標として完全失業率を取り上げました。この完全失業率は、15歳以上の働く意欲のある人の人数(労働力人口)のうち、職がなく、求職活動をしている人数(完全失業者)が占める割合を示すもので、%が低ければ低いほど経済がよい状況にあると解釈します。日本全体の景気が良くなることによってはじめて企業も雇用を増やし、その恩恵が働くものに及びます。

 だからこそ、景気をよくすることが格差や貧困を克服する最初の一歩となるのです。ただし注意しなければならないことは、ここでは最低賃金ぎりぎりで働く非正規労働であっても働いていさえすれば失業者にカウントされませんので、何十年も前の年と今年が同じ完全失業率であったとしても、正規・非正規の比率など労働の質の差が反映されていないため決して同じだとは解釈できないのです。

 この雇用の質の点をどう考えればいいのかについては後日取り上げたいと思います。

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前参議院議員 金子洋一
前参議院議員(当選2回、神奈川県選出)。国土交通委員長、憲法審査会会長代理、財政金融委員会理事、消費者問題特別委員会理事。経済企画庁、OECDエコノミスト、中央大学大学院客員教授などを経る。経済政策に精通し、デフレ脱却前の消費税増税には反対している。サービス残業とブラック企業の撲滅を目指した活動もしている。