都政でこれほど長い時間を要した議論は、丸の内から移転する際の都庁移転議論を除けば、築地・豊洲市場問題の他に類を見ない。

 それだけに、9月13日の豊洲市場開場式典には、長年この議論に関わってきた1000人を超える関係者が特別な感慨を持って集結されていた。その関係者の多さと、口々に出ていた「やっと開場まで漕ぎ着けた」という安堵の声は、紆余曲折の末に誕生した豊洲市場の歴史を物語っているように感じられた。

 振り返れば、築地市場の老朽化に伴う、移転か現地再整備かの議論は昭和60年以前に遡る。昭和56年頃に水産を大田市場に移転させる計画もあったと聞くが、少なくても昭和60年には、築地の現地再整備を求めて水産仲卸が築地本願寺で総決起集会を行っているし、これを受けて、営業をしながら現地での再整備を試みる工事が始まっている。ところが、アスベストが大量に使用されている市場の解体工事と水産の営業を同時並行させることの困難さ、資材置き場などのタネ地が不足する中での工事は難航を極め、結局400億円を投じたところで工事は中断へ。平成8年には現地再整備は不可能ということで白紙になった。

 その後、移転議論に傾くものの青島幸男都政下では、解決策が宙に浮かび、石原慎太郎知事の誕生を待つことになる。平成11年に誕生した石原知事が築地市場を視察。「狭くて、汚くて、危ない」と発言して以降、事態は大きく動き出した。その背景には、レームダックしていた青島知事時代に棚上げされた難題解決に焦る都庁幹部と市場関係者の強い後押しがあったものと思われる。

 この発言から異例の速さで、移転候補地の照準が「豊洲」に定められる。たしか5箇所ほどの候補地の中から庁内議論の末に「豊洲」になっていくのだが、なぜ豊洲だったのかの政治的背景は未だに私には分からない。元々、この土地の所有者は東京ガスであることはご存知の通りで、東京ガスは独自にマンションなどの用地として開発の準備を進めていたエリアのため、当初、東京都が売却を打診したときに東京ガスは明確に拒否している。それでも、浜渦武生副知事が説得に赴き、平成13年には異例の速さで「基本合意」を締結するに至る。

 ここで、注目して欲しいのは、当初の東京ガスの対応だ。都から用地売却を打診された東京ガスは都に対して質問状を送り、深刻な土壌の汚染状況に対する都の認識を質していることからも、市場用地として売却を迫る都に強い懸念を示しているのだ。

 しかしながら、都の動きは留まることなく、東京ガスとの交渉は進み、売買の基本合意に至るのだが、ここで土壌汚染はどうなったかというと、東京ガスも何もしなかった訳ではない。当時は土壌汚染対策法がなかったので、東京都環境確保条例に基づく処理として、土地売却にあたって所有者として取るべき対応、すなわち土壌汚染処理を東京ガスは行なっている。正確にいえば、条例に定める処理以上の追加対策処理も東京ガスは行っているので、土地売買に当たって、当時あった行政ルールに照らせば、十分な対応を取ったと言える。

《2 「リスクを過小評価して突き進み・・・」に続く》

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東京都議会議員 伊藤悠
1976年生まれ、早稲田大学第一文学部卒。目黒区議会議員選挙で最年少当選(26歳)を果たした後、東京都議会議員選挙で2期連続トップ当選。21年ぶりの議員提案条例「省エネ条例」を創案、成立させた。2017年夏の東京都議会議員選挙で地域政党「都民ファーストの会」から出馬、47674票を得て3度目のトップ当選を果たした。
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