しかしながら、土壌汚染の専門家からは「環境確保条例はあくまで一般の土地利用を想定したもので、市場として利用する土地の汚染対策としては不十分」と指摘する声が相次ぎ、平成19年の都知事選挙の際に、ついに石原知事が詳細な調査を行うと約束した。ここで初めて都庁に外部有識者からなる「専門家会議」が発足する。平田健正座長を筆頭とする専門家会議の提言に基づく調査が開始されると、驚くことに環境基準を大きく超える4万3000倍のベンゼンが発見され、衝撃を与えた。

 この頃には、国における土壌汚染対策法の議論も手伝って、土壌汚染問題への関心は国民的に高まっており、築地での再整備への期待が再燃した。当時、民主党の1期生だった私は、土地の購入経過の調査を行うとともに、民主党が検討を始めた現地再整備案を研究していたので、現地再整備の再検討の経緯をよく覚えている。このプランでは、一度、晴海に仮移転し、築地を再整備したのちに、戻って築地新市場を開場するというもので、地歴上、深刻な土壌汚染の懸念のない晴海を活用する案は優位性があり、現実的なプランだと考えた。

 都議会の特別委員会も設置され、晴海への一時移転案が技術的には可能であることを証明できたが、石原知事は一向に関心を示さず、巨費を投じてでも土壌改良工事によって豊洲移転を実現しようという一点張りだった。

 結果、土壌汚染対策工事に860億円という巨費をつぎ込み、当初想定していた2500億円程度で完成させようとしていた豊洲市場の工費は5900億円まで膨張することになったのだから、その責任は誰かが負わなければいけない。もちろん、当時の条例に基づいて土壌汚染工事を完了している東京ガスに、追加対策工事費を負担する法的な義務はなく、むしろ、リスクを過小評価して、突き進んだ当時の政策決定者の責任は今後とも検証されなければならないだろう。

 この問題については、いつか記憶を整理して、書籍にしたいと考えているほど、書ききれない問題を含むが、ここでは割愛し、その先に進む。

 平成23年3月11日、いわゆる「花輪事件」が起きた。

 この時、平成21年の都議選で民主党が54議席を獲得して都議会第1党になったことにより、野党派が1議席差で議会の多数派になっていた。そのため、豊洲移転に向けた予算案が成立しないという局面に立っていたのだ。しかし、事件は起きた。それまで豊洲移転反対の急先鋒だった民主党の花輪智史都議が一転して、自民党に寝返り、本会議場が騒然とするなか、まさに花輪都議の1議席差で可決するという衝撃的な結末を迎えたのだ。

 この2時間後に、東日本大震災が発災したので、この日の記憶は一層鮮烈になった。

 ここから、豊洲移転に向けた予算案が可決されていく。もちろん、議会もチェック機能を働かせていなかったわけではない。豊洲移転が事実上決まった以上は議会としても安全安心に向けての条件を提示するため、付帯決議を行なっている。その内容は以下の通りだ。

 「土壌汚染対策について、効果確認実験結果を科学的に検証し有効性を確認するとともに、継続的にオープンな形で検証し、無害化された安全な状態での開場を可能とすること」

 ここで言う無害化とは、環境基準をオーバーしないこと。今考えれば、この無害化の条件はハードルが高過ぎたと言わざるをえない。しかし、自民、公明、民主の賛成を得て、付帯決議が議会としての意思となったし、当時の石原知事をはじめ都幹部は、無害化は可能との答弁を繰り返してきた。

 そして、この無害化実現の工法の柱となってきたのが、2メートル掘削除去して、さらに2メートル分の土をのせる「盛り土」だった。さらに、無害化を証明する方法として議会でも再三確認されてきたのが、2年間のモニタリング調査である。盛り土などの工事完了後も、地下水から環境基準が発生していないことを2年間の地下水モニタリング調査で確認したのちに、開場しようということが確認されてきたのだ。

 しかし、ここで、都政に大きな変化が生じる。

 オリンピック・パラリンピックの東京開催決定だ。
 
 平成25年に東京開催が決定すると、すぐに晴海地区に選手村の建設が決まり、築地の跡地を選手村の駐車場用地として確保する必要に迫られた。さらには、選手の交通輸送を考えて、環状2号線の整備も急務になり、それまでのスケジュール感が大幅に見直された。私は、先日のテレビ番組でも舛添要一前知事に質したが、この時期に、舛添氏には都庁内外から早期の築地移転、豊洲開場を迫る声が強まったのではないかと思う。このことは、番組中に舛添氏も否定しなかった。

 ここで問題になったのが2年間のモニタリング調査ではなかったか。これを待っていたのでは、オリンピックまでに環状2号線が完成しない。そこで、モニタリング調査の結果を待たずに開場を決定してしまおうという判断が庁内で下され、舛添氏が了承したのではないかと私は見ている。

 オリンピック開催決定から1年後の平成26年12月に舛添氏は「安全宣言」を出し、豊洲開場日を決定してくのだが、その根拠となるはずのモニタリング調査が終わっていなかった。舛添氏は「調査と開場とは法的因果関係がない」と主張されているが、これまでも私が述べてきたように、法的因果関係が問われているわけではなく、議会つまり都民と東京都が約束してきた無害化の「証明」が問われているので、モニタリング調査を見届けることなく「安全宣言」を出したのは、オリンピック日程優先の結果だったと言われても仕方ない。

 そして、その後に、舛添氏が退陣、小池百合子知事が誕生し、検証作業が始まった。小池知事は、モニタリング調査がまだ2回残っているにもかかわらず、安全と判断した経緯を問題視し、残り2回の調査結果を見届けるため豊洲開場の延期を決断した。

 すると、8回目、9回目のモニタリング調査から環境基準を超える地下水が出た上に、あるはずの盛り土がなかった事実が発覚し、騒然となったことはご存知の通りである。これにより、専門家会議の平田座長や移転推進派の市場関係者も驚きを隠さず、都への不信を募らせることになった。

 最近になって、この地下空間は「間違ってなかった」「あった方が良かった」と発言する都議がいるが、もし、本気で言っているのであれば、議会が自ら自己否定することになる。専門家会議の提言によって定められた土壌汚染対策工事に基づいて安全性を確保することを前提に議決したのが議員であることから、「盛り土はなくても良かった」と発言することは自らの議決に矛盾することになる。せめて、都側から「地下空間があった方がいいので、設計を変更したい」との事前説明を受けていたなら、議論の余地はあるにせよ、説明もなく、議会への説明と違う設計が知らぬところで行われていたことを、「結果的にこれで良かった」と言い張る都議の見識には同意できない。

《3 「もし開場後に問題が発覚していたら・・・」に続く》

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東京都議会議員 伊藤悠
1976年生まれ、早稲田大学第一文学部卒。目黒区議会議員選挙で最年少当選(26歳)を果たした後、東京都議会議員選挙で2期連続トップ当選。21年ぶりの議員提案条例「省エネ条例」を創案、成立させた。2017年夏の東京都議会議員選挙で地域政党「都民ファーストの会」から出馬、47674票を得て3度目のトップ当選を果たした。
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