前回の記事では、DeepMindに代表される英米のAI(人工知能)モデルの研究思想は、どちらかといえば、人間の知的機能や体の運動能力を、1つ1つばらばらに切り出した上で、個々の機能を「人間並み」に、そして「人間を超えた精度パフォーマンス」で実現するAI機能部品を、個々に独立して考案して、あとから、それら「部品」なり「モジュール」としての複数のAIを大きなアーキテクチャ(機構)の中に配線をつなぎあわせるというステップを踏むものであると、前振り的に論じてきました。

 そして、そのような英米の思想に基づいた汎用人工知性体の構築アプローチに対して、東京大学の國吉研究室や立命館大学の谷口研究室が目指しているアピローチは、例えるならば「受精卵」のような「たったひとつの胚」から、あたかも内側から自発的に(つまり、アルゴリズム自身のダイナミズムだけで)個々の異なる機能を担う複数のAIモジュール領域が内発的に自然発生してくる、細胞分化型とも形容すべきアプローチを目指していることを具体的に論文を取り上げて紹介するまえに、先取的に概観してみました。

 前回の記事ではまた、日本がAI産業界で自信をもつためには、英米とは異なる独自の「汎用人工知能」形成アプローチに対して、いまいちど自信を深めるだけでは足りないという問題提起をしてみました。

 そこでは、日本人が、AIを基軸として、世界の産業界と社会のあらたな構図(グランド・デザイン)づくりを牽引していく上での自信を(1980年代以来、再び)取り戻すためには、AIと聞いて連想される数理統計科学と、数理統計科学を駆使して社会の進路を指し示す力について、自身の力に対して自信をもつことであると論じました。そのために、AIとはテーマがややずれてしまうものの、日本人がインテリジェンスをもとに、国家の政略・戦略の進路を主体的に描いて外国と交渉しながら互角に伍していけるだけの底力と地力をもっていることを、インテリジェンス・ヒストリーと対外関係史をひもときながら、歴史実証的に示すための事例を提示する必要性を提起しました。

 次回の記事でそれを行うと前振りをしていましたが、ここで記事の順番を変えて、まず先に「人工」汎用知性体ではなく、現実の自然界にすでに存在している私たち人間を含む多細胞生物において、「胚」から「個々の形と機能を備えた細胞群(臓器などの器官群)」が、自己組織的に生じてくる過程について、分子生物学と遺伝学における「エピジェネティクス」(epigenetics)と呼ばれる理論と、複雑系科学・自己組織化の理論とのかかわりあいの可能性について、論じてみたいと思います。

 自然界が生み出した生命体(多細胞生物)の個体の成長過程が、「胚」から「個々の形と機能を備えた細胞群(臓器などの器官群)」が、自己組織的に生じてくる過程である「可能性」をここで認識したうえで、冒頭に述べた『人間の知的機能や体の運動能力を、1つ1つばらばらに切り出した上で、個々の機能を「人間並み」に、そして「人間を超えた精度パフォーマンス」で実現するAI機能部品を個々に独立して考案して、あとから、それら「部品」なり「モジュール」としての複数のAIを大きなアーキテクチャ(機構)の中に配線をつなぎあわせる』英米流のアプローチと、日本の複数の大学研研究室が目指してきた『「受精卵」のような「たったひとつの胚」から、あたかも内側から自発的に(つまり、アルゴリズム自身のダイナミズムだけで)個々の異なる機能を担う複数のAIモジュール領域が、内発的に自然発生してくる、細胞分化型とも形容すべきアプローチ』のどちらが、人間を模した「汎用人工知能体」としての可能性を豊かに内包しているのかを、本連載シリーズ全体の基調テーマとして、向き合うための視座を切り開きたいと思います。

■ 多細胞生物の個体発生過程 「1つの胚」から始まる細胞分裂~「形態分化」と「機能分化」

 ところで、受精卵の細胞分割によって多くの細胞がうまれて多細胞生物が成長する、個体発生の過程で、すべての細胞は同じ塩基配列をもったDNAをもつにもかかわらず、個々の細胞は、皮膚細胞や腎臓細胞や筋細胞や神経細胞などに形と機能が分化していくのは、一体なぜかでしょうか?

 成人のヒトの体は、およそ60兆個もの体細胞によって構成されているとされ(一定期間ごとにすべての体細胞が入れ替わる)ていますが、この60兆個の体細胞はすべて、その細胞核のなかに、基本的には同じ塩基配列(DNA)を宿しています(細胞ごとに、細胞核のなかに宿した塩基配列のある番地(遺伝子座)にある遺伝子に、ランダムに突然変異が生じる可能性があるため、実際には、60兆個の体細胞に、完全に同じ塩基配列が格納されているわけではない)。

 そうなると、(突然変異を除いて、ほぼ)同じ塩基配列(DNA)を持つ体細胞が、皮膚細胞や神経細胞や肝臓を構成する細胞や、心臓を構成する細胞といったように、その形も機能も大きく異なる細胞に枝分かれしていく現象(これを細胞の「機能分化」(differentiation)と呼ぶ)はなぜ、どのようにして起きてくるのでしょうか。

細胞ごとに「同じ塩基配列」の使い方が違う

 そのからくりは、細胞ごとに、どの染色体にある何番目の場所(遺伝子座)にある塩基(アデニン(A)・チミン(T)・グアニン(G)・シトシン(C)という4種類の塩基のいずれか1つ)の「スイッチ」を「オン」にしたり、「オフ」にするかという、スイッチの入れ方が異なるから、というのが答えになります。

 ここでDNAが「人体の設計図」とよばれる理由をおさらいしてみましょう。

 塩基配列(DNA)が「人体の設計図」とよばれるのは、人体はさまざまな種類のタンパク質の集合体によって構成されており、そのタンパク質の種類の違いは、アミノ酸の配列構成(結合構造)の違いによって決定されており、そのアミノ酸の配列を(個々の細胞を構成する個々のタンパク質ひとつひとつについて)決定しているのが、連続する3個の塩基配列であるからです。この意味で、3文字が1つの「アミノ酸配列」イコール1つの「タンパク質」の種類を定めている塩基配列は、めぐりめぐって、人体の設計図であるとみなされているのです。

 このように60兆個の体細胞は、からだのあらゆる部位にある細胞について、そのアミノ酸配列が書き込まれた「設計図」を、細胞核のなかに宿しているのですが、心臓を構成する細胞は、皮膚細胞や体毛細胞を構成するアミノ酸の配列が刻み込まれた塩基配列領域にある塩基配列は、スイッチを「オン」にする(塩基配列をmRNAに「転写」して、さらにリボソームによってアミノ酸配列の情報に「翻訳」して、定められたタンパク質を合成する)必要がありません。

 このように、個々の体細胞は、みずからの細胞核に大事にしまってある塩基配列のうち、自分の細胞(心筋細胞なり、体毛細胞なり)をつくり上で必要となる番地の地図だけに注目して、スイッチを「オン」にするのです。これはちょうど、世界地図を携えている郵便局の配達員さんが、いま封書や手紙や葉書や小包を配達するために巡回している区画エリアの地図のページだけを開いて、参照しているのと同じ構図です。

 このようにして、60兆個もの体細胞は同じ塩基配列(おなじ世界地図)をもちながらも、どの配列番号(遺伝子座)にある遺伝子のスイッチをオンにし(どのページの地図を開きその)、どの配列番号の遺伝子のスイッチをオフにする(どのページの地図を閉じたままにする)のか、塩基配列の「発現」のさせ方(開いているページの場所)がまちまちに異なるから、個々の細胞ごとに塩基配列(DNA)から生み出す(転写し、翻訳し、タンパク質を合成する)細胞の形も機能も異なってくるのです。 

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。