水道民営化の法案が、先の臨時国会で強行採決された。これを受けて、報道や国民の皆さんから、「これで水道が民営化されて、料金の値上げがはじまるのではないか」と不安の声が上がっている。

 結論からいえば、

1)水の民営化は避けるべきであるが、

2)報道で煽っているほど今回の法律改正ですぐ困ることもない

といったところだ。

 まず、はっきりさせないといけないのが、政府は「本法案は民営化ではなく、水道の運営だけを企業に任せるコンセッション方式だ」と強弁していること。政府がなんと言おうと、コンセッションが民営化の一手法であるのは、世界的な常識だ。入管法議論の際の「移民」という言葉もそうだったが、つまらない言葉遊びはやめるべきである。

 さて、そもそも水は食料と同様、生命に不可欠である。政治のもっとも重要な仕事は、国民の「食」を確保することである。これは「効率」を超えた責任である。もちろん、効率よく、水を安く安定的に国民全員に供給できるのであれば、なおさら望ましい。

 今回の「水道法」の改正は、公的部門が水道管等を所有したまま、水の事業運営だけを民間に委託することを可能にするものだ(民有民営ではなく、公有民営)。ただ、民営化のためには、都道府県の許可が前提となる。したがって、例えば、京都府が認めなければ、民営化は京都では実行されない。法律が成立したからといって、自動的に全国の水が民営化になるわけではないのである。

 問題は、何のために安倍政権は民営化を推進するのか。政府の説明によると、

1)人口減少にともない、水の利用者と水道事業の職員数が減る中で、

2)老朽化する水道管の更新投資のためのお金と人が足りなくなるので、民間の力を借りる。

ということらしい。

 しかし、問題は二つある。

 まず、第一に、民間が運営したからといって、老朽化した水道管の更新がより進むのか。これは逆だ、と言わざるを得ない。通常、設備投資をする際、行政の方が民間よりも借り入れ費用が安い。また、水事業に限らず、事業を民営化すれば、企業はできるだけ費用を抑えて、利益を増やすために、投資をおろそかにするのが常識である。そもそも民間企業では、水道投資コストが高すぎて負担できないからこそ、公営事業として成立したのである。今後の更新投資の巨額の負担についても、民間で担うのはむしろ難しい。

 もう一つの問題は、「民間の方が効率的に運営できる」という単純な主張だ。これは一般論としては、なんとなく通用するかもしれないが、水道事業について答えは必ずしもはっきりしていない。なぜなら、水道事業はほとんど競争原理が働かないからだ。また、水は生活必需品である。料金が高騰しても、消費者は水を購入せざるを得ないので、企業は価格を下げようとしない。「広域化すれば、効率化できる」という主張もあるが、これは別に民間企業に限ったことではなく、行政でやればいいだけのことだ。

 実際、これまでの民営化(=公有民営)にかんする国際的事例はどうか。まず、水道管の更新投資は、公有民営ではうまくいっていない。他方、運営の効率化については、必ずしも公有民営に軍配が上がっているとは限らず、どちらともいえないというのが、現時点での結論だ。ただ、水道料金が高騰して、いったん民営化した事業をふたたび公営事業に戻している事例が目立っている。

 したがって、法律が通ってしまったことはやむを得ないので、都道府県で安易なる民営化が許されないように、監視の目を厳しくすることが大事である。

 むしろ、ことの本質は、水道の利用者や職員が激減していることであり、基本的には人口減少の問題だ。農村地帯では、とくにひどい。公営であろうと、民営であろうと、老朽化した水道管を新たにするためには、費用が大きくかさむ。この問題の解決の王道は、私がいつも主張している少子化対策などの人口政策を強力に実行するとともに、地方の居住をある程度、中心的な地域に集中していくように促すことである。

 いずれにせよ、水はすべての国民にある程度の価格で届くようにするのが、政治の責任である。

 こうした地道な政策を実行しないまま、民営化という辻褄合わせの目先の政策をやめるべきである。

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前衆議院議員 北神圭朗
1967年2月1日生まれ。大蔵省(現財務省)入省後、2005年の衆議院選挙で初当選。2007年のダボス会議で「ヤング・グローバル・リーダー2007」に選出。経済産業政務官、首相補佐官などを歴任。尊敬する人は大久保利通、勝海舟。著書は「国家の骨格」(象の森書房)など。