私が一年生代議士の頃、堺屋太一先生は小渕恵三内閣の経済企画庁長官をやっておられました。テレビ番組でご一緒することがあり、終了後、堺屋先生から鋭い御下問を受けました。

「渡辺さんは不良債権・過剰債務の処理が第一優先順位と言いますが、どうしてですか?」

 私は「銀行の不良債権と産業サイドの過剰債務は表裏一体のものであり、過剰債務が残っているとミクロの経済取引に悪影響を及ぼし、デフレの温床になります。無論、一体処理自体デフレ圧力が伴う劇薬なので、積極財政・金融緩和を徹底して進める必要があります」と申し上げました。

 堺屋先生は、政府の政策体系にないことでも聞く耳を持ち、理解する度量を持っておられる方でした。後に産業再生機構が時限的に作られ、温泉旅館やダイエーなどを再生し、私が金融大臣の時、500億円以上の余剰金を国庫に収め解散しました。

 私が第一次安倍晋三内閣で公務員制度改革を担当した時には、身分制に立脚した官僚制度を抜本的に変える懇談会が作られて、堺屋先生が座長代理につきました。

 この懇談会は福田康夫内閣にも引き継がれ、堺屋先生は実質的に会の中心人物として答申案の取りまとめに当たられました。現役の官僚は利害関係者であり、利益相反の恐れがあるので最終案の起案には一切いれませんでした。

 毎週末、事務方としても役人を入れず、メンバーが集まって大激論を交わし、維新の志士さながらの様相でした。最終的に報告書は堺屋先生がお書きになりました。武士の身分をなくするような改革への思い入れがあったのかもしれません。

 この案を土台に作られたのが、国家公務員制度改革基本法案でした。中曽根康弘大勲位は、「渡辺君、これは革命だよ。幹と根っこが残れば、枝葉のところは妥協したまえ」とアドバイスしてくださいました。

 「国会を通るわけない」と言われた基本法は、与野党協議と称する官僚の腹話術により国会で修正されましたが、幹と根っこを残して成立しました。

 その後リーマンショックが起こり、「ハチに刺されたようなもんだ」という程度の危機認識だった時の政権に一石を投ずべく、私は自民党をたった一人で離党し、みんなの党を作りました。堺屋先生には引き続きお世話になりました。本当に有難いことでした。

 石原慎太郎さんが「文武両道」と喝破した堺屋太一先生の生き様と思想は、私たちに強い影響を及ぼしました。堺屋先生の御遺徳を偲び、心から御冥福をお祈りいたします。

合掌

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参議院議員 渡辺喜美

参議院議員 渡辺喜美

1952年3月17日、栃木県那須塩原市生まれ。早稲田大政治経済学部・中央大法学部卒。渡辺美智雄元通産相の秘書を務めた後、1996年の衆院選で初当選。2006年の第1次安倍晋三内閣や福田康夫内閣で行革担当相や金融担当相を務め、国家公務員の天下り規制を盛り込んだ国家公務員法改正を実現。2009年、みんなの党を創設し、代表に就任した。2016年の参議院選挙で当選し、日本維新の会副代表を務めた後、現在は無所属の参議院議員として活躍している。