言論ドットコム編集部は、現役の国家公務員と共に【イマドキの公務員シリーズ】をスタートしてきました。何かと話題になることが多い「国家公務員」について、なるべく平易な言葉で、わかりやすく、行政のあり方の議論の材料となるようなものをお伝えしていきたいと思います。第5回は、昨今あった首相補佐官にまつわる話です。

■首相補佐官と女性官僚の件とは?

 2019年12月12日発売の「週刊文春」が、菅官房長官の懐刀といわれる和泉洋人首相補佐官(66)をめぐる不倫疑惑を報じた。

 厚労省の女性医系技官の大坪寛子大臣官房審議官と親密な関係にあり、京都出張の際や東京都内でハイヤーを使って送迎するなど公私混同を繰り返しているとする記事を写真つきで掲載したのだ。

■山中教授との関係

 週刊文春によると、2019年8月、和泉補佐官と大坪審議官は、ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中伸弥教授の京都の研究所を訪問した。その際、大坪審議官が「わたしの一存でどうにでもなる」などと話し、年間およそ10億円のiPS細胞への支援を打ち切る旨を伝えたという。

 これに対し、山中教授は文部科学省の担当課に連絡して「相当理不尽」などと不満を口にしていたことは、メディアでも取り上げられた。

 最終的に、竹本直一科学技術担当大臣も釈明し、予算の打ち切りは免れた。この一連の山中教授関連の問題で関係者の怨嗟がたまりたまったようだった。

■「首相補佐官」と「審議官」とはなにか

 首相補佐官とは、内閣官房の官職の1つ。内閣総理大臣のスタッフとして、内閣の特定の重要政策の企画・立案に当たることを職務とするとされている。つまり、総理大臣や官房長官の親衛隊である。その階級は総理秘書官より上とされており、事務次官相当の給与をもらっている。今回、渦中の人となった和泉氏は、1976年に建設省に入省し、住宅局畑の技官として辣腕さを発揮し、2007年に住宅局長に上り詰めている。さらに官邸での覚えもよく、2009年には内閣官房地域活性化統合事務局長、2013年からは首相補佐官として君臨している。

 大臣官房審議官とは、部長級のポストで概ね総合職の場合は30年目程度になる。局長の次の次長扱いで運用されることが多い。大坪氏は、内閣官房の審議官を経てから、厚労省の審議官に横滑りしている。

■異例の出世スピード

 大坪寛子氏に対して特別な計らいをしていたかは確たることはいえないが状況証拠を検証していきたい。以前に本シリーズでも記載したが、概ね総合職は20年目に室長、25年目に課長、30年目に審議官という相場がある。さて、大坪氏はどうか経歴を見てきたい。

1992 東京慈恵会医科大学を卒業
1992-2006 東京慈恵会医科大学血液・腫瘍内科助教など内科医として勤務
2006-2008 国立感染研究所の研究員として勤務
2008 厚労省へ入省。医薬食品局血液対策課
2009 健康局結核感染症課
2010 医薬食品局血液対策課
2011 環境省へ総括補佐として出向(20年目)
2012 環境省特殊疾病対策室長 (21年目)
2013~2015 医政局総務課医療安全推進室長(22-24年目)
2016 内閣官房健康・医療戦略室参事官(25年目)
2018 内閣官房審議官 (27年目)
2019 厚労省審議官 (28年目)

 医系技官は勤務医を経てなるので、人事管理上は大学を卒業した年月日を基準に人事管理をしていくためやや特殊であるが、20年目前後に管理職である室長になり、25年目前後に課長になるのは妥当である。しかし、その2年後の27年目に部長級の審議官になるのは相当に早く、通常は30年目以降になるのが妥当だ。

 内閣官房健康・医療戦略室参事官の頃の上司が和泉補佐官その人であるとともに、和泉補佐官は内閣人事を握っていると言われる菅官房長官の懐刀で官房長官の目となり官僚を見定めていると言われている。その人がかわいがる官僚が異例の大出世という構図だ。

人事の秩序を重んじる霞が関ではありえないこと

 なお、参考までに比較的年次が近い、同じ女性医系技官の梅田 珠実氏のキャリアパスも見てみよう。

昭和60年 筑波大学卒業
昭和63年 英国エディンバラ大学留学  (4年目)
平成2年 文部省学校健康教育課(学校保健)(6年目)
平成4年 WHO本部(エイズ対策計画)
平成12年 神戸市保健福祉局参事
平成16年 食品安全部国際食品室長 (20年目)
平成18年 健康局疾病対策課長 (22年目)
平成20年 健康局結核感染症課長 (24年目)
平成21年 国立病院機構医療部長・理事 (25年目)
平成27年 大臣官房審議官(医政、精神保健医療、災害対策担当) (31年目)
平成28年 環境省 環境保健部長(32年目)
令和元年 国立研究開発法人 国立国際医療研究センター国際医療協力局長(35年目)

 以上を見てみると、概ね本省の審議官になるのは31年目であり、それまでに外の団体の理事などを経験してなるのが一般的である。

 さらに大坪氏と大学卒業年次が同じで、女性で初めて医療課長についた森光敬子氏の経歴も見てみよう。

平成4年 佐賀医大卒業後、厚生省入省(生活衛生局食品保健課)
平成6年 環境庁企画調整局環境保健部保健業務課 特殊疾病審査室
平成8年 健康政策局指導課
平成9年 医薬安全局監視指導課医薬監視専門官
平成10年 老人保健福祉局老人保健課保健医療専門官
平成12年 文部省体育局学校健康教育課専門員(
平成13年 文部科学省スポーツ・青少年局学校健康教育課専門官)
平成14年 健康局国立病院部政策医療課長補佐
平成16年 独立行政法人国立病院機構本部医療部医療課長
平成17年 埼玉県保健医療部健康づくり支援課長
平成19年 保険局医療課長補佐
(中略) 
平成26年 国立感染症研究所 企画調整主幹(23年目)
平成28年 医政局研究開発振興課長(25年目)
平成30度 厚生労働省保険局医療課長(27年目)

 最初から行政官をやっている人間で、原則通り25年目に本省の課長に就任している。もちろん、佐々木氏より大坪氏のほうがずっと優秀だった可能性も否定できないが、保健局医療課長は診療報酬改定に関わる重要任務を帯びており、できの悪い課長はつけられないポストだ。厚労省本省課長を経験していない大坪氏と、厚労省本省の医系技官の重要ポストについて佐々木氏を比べたときにおおよそ3-4年分ほどの昇進の差がつくのは異常な事態だ。

■内閣人事局の功罪

 今回は、渦中の人のキャリアパス分析を通じて、異常値を見つけたという内容だ。もちろんとびっきり優秀だったので抜擢されたかもしれない。しかしながら、そのような人はたいてい大法令の改正を成し遂げたとか、大きな問題を対処したなど国民のために大活躍をした人がされるべきものである。大坪氏のこれまでの取組みを全てみたわけではないが、すぐに見つかるような大業績は見えにくい。

 そのため、内閣人事局が人事権を握った功罪としての情実人事があらわれてしまった可能性もある。真相は藪の中ではある。

 これを1つの教訓として内閣人事局において適正な人事管理がされているか確認していくきっかけとなればいいのではないかと思う。

 人事は組織運営の要であり、情実人事がまかり通る国は亡びる。議員は「お友達」でもいいかもしれないが、実務担当者まで「お気に入り」で固めてしまい、反対意見に耳を傾けられなくなれば、大臣は裸の王様になってしまう。

 霞が関が壊されすぎれば、もう日本は後戻りできなくなってしまうと筆者は強い危機感をもっている。

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