ここからは、言語創発シミュレーションの現状を見ていきます。まず、DeepMind社の論文を3本ほど取り上げます。

 そこでは、それぞれの舞台設定のなかで実際に2体のAI Agentの間で意味が通いあうまでに共有された独自の言語(「AI語」)の姿を紹介します。

 そして、これまでの記事で触れたようにシミュレーション(実証実験)の中で観察された「AI語」が、人間の目からみて、どのような文法構造と語法を内に秘めた言語体系であるのか論文のなかで考察された内容をみていきます。

 その考察においては、AI Agentたちを「人間の言語」に近い「AI語」を獲得するように導くためには、どのような状況(課題設定)を彼らに与えてあげたらよいのかという設問に対する暫定的な答えも示されていることを紹介します。

 この考察を掲載している論文を執筆したDeepMindの研究者は、人間が理解できる「AI語」を獲得するようなAI Agent集団を生み出すことで、人とAI Agentが意思の疎通を図りながら、互いに協力しあいながら社会生活を営む未来を見据えています。

 ■日本の言語創発研究

 その後、我が国の研究状況をとりあげます。取り上げるのは東京大学の国吉康夫・新山 龍馬研究室、立命館大学の谷口忠太研究室、JST科学技術振興機構 研究開発戦略センター「脳領域/個体/集団間のインタラクション創発原理の解明と適用」課題プロジェクトなどです。

 ■日米比較の視点

 日米の比較を通じて、これまでの記事で触れたように日本の研究アプローチの方がDeepMind社のアプローチよりも「胚」が環境条件の制約を助けとしながら、有機的に、時間的に徐々に、初歩的な知性の萌芽の段階から少しずつ言語の獲得に至る高次の知性を担う秩序化された、入り組んだ複雑な状態へと自己組織化していく過程を計算機上でシミュレーションしうる方法論の上に立脚していることを確認します。

 ■「AI語」の取りうる可能性が拓く新たな「知の地平」

 以上の手順で「言語創発」によって、人間とは異なる独自の概念と言語を獲得するに至るAI Agent集団を計算機上で実証的に構成するシミュレーションについて、日米各様の研究アプローチを比較していきます。

 前振りが長くなり恐縮ですが、本論に入る前に、ここでいま一度この研究領域の先に広がる「知の地平」が、どのようなものなのかについて、改めて押さえてみたいと思います。

 このような記事の構成にするのは、個々の論文の中身に立ち入りながら、日米双方の「言語創発」研究のアプローチを具体的に見る段に入ると、現状の研究の達成点と課題に目が釘付けになってしまいがちになり、より大きな俯瞰的な視点から、「言語創発」の研究の先に、どのような新しい学問的な課題を設定していくことで、人類の「知の地平」を押し広げていくことができるのかを、自由に発想する余裕がなくなってしまうと考えるからです。

 言語創発・言語進化の研究の先に、どのような新たな学問領域の可能性が開けているのかを「夢想」する自由を確保することで、我が国が、欧米や中国に先駆けて、あらたな学問の構築を、研究の「課題」として「設定」することができるのではないか。そう考えるためです。

 ■「宇宙の構造」を人間語よりも忠実に描写する「AI語」は発見されるか

 AIがその身体=センサーで、この宇宙で起きる森羅万象の出来事の連関構造を人間の身体体験よりも、効率良く高精度に観測・体験し、人間の思考と直感よりも優れた推論規則をもってして、捉えた森羅万象の連関構造を、人間よりも優れた表現力で記号列に記述し得るようになるかもしれません。

 その記号列は、人間がこれまで人類史に刻んできた、どのような優れた詩や絵画、楽曲、数式、論理式よりも、少ない記号の数で宇宙の構造を宇宙の内部で宇宙という舞台に生じる出来事を体験している知的生命体の立ち位置から捉えて、表現することに成功しているという可能性です。

 記号の数が短いだけでなく、AI語の言語体系(文法体系と語彙体系、言い回し語法の慣習で記述)の内部で表現されたその一文や、言葉の一節や数式は、未だに、人間が認識したり発見したりすることかまできていない、人類未踏の森羅万象の連関構造の秩序が、記号に表現されているかもしれないのです。

 ■情報表現力を測定する定量的な評価基準が必要

 ここでは、この宇宙の中で(人間もしくはAIがそれぞれの身体で)体験したり観測したりする物理現象の間の連関構造を、ある言語が他の言語よりも要点を見落とさずに、効率よく記述(表現)しうるとは、定量的にどのように定義されるのかという、言語の優劣を比較するための評価基準を設定しなければなりません。

 グレゴリー・チャイティン(Gregory “Greg” J. Chaitin)の情報理論の研究(オメガの研究)などが、あるいは、関わってくるかもしれません。

 ■宇宙に「時間」と「空間」は実在するのか

 人間の言語は日本語であれ、英語であれ、中国語であれ、それぞれバリエーションの違いをもちながらも、いずれも「自制」表現を備えています。また、人間は時代や文化圏・地域の違いを超えて、おしなべて共通して「時の流れ」と「空間の広がり」の中で、人生の出来事を体感し、言葉に表して表現してきました(東洋的な時間感覚が「円環的時間」であり、西洋的な時間感覚が「(最後の審判へと至る)直線的な時間」である、といった文化人類学的な類型はあるとしても)。

 しかし、素粒子論や素粒子論と一般相対性理論の統一を試みる「超統一場理論」(超弦理論・M理論や、ループ量子重力仮説など、観測や実験では未だ裏付けられていないものの、数学的な数式の体系としては、それ自体成立しうる、理論の有力「仮説」)のうちのいくつかの方程式では「時間軸」も「空間軸」も必須の変数としては織り込まれてはおらず、二次的な派生物でしかない可能性が示され始めています。

 日経サイエンス(2010年9月号)によると、超統一場理論を待つまでもなく、すでに一般相対性理論の段階で以下のような境地が開けているようです。

 「相対性理論に軸足を置く限り,時間というのは単に,異なる物理系に起きる出来事の相関を記述するための発明品にすぎない。それはちょうど,お金のようなものだ。お金があるおかげで,私たちはコーヒー1杯を購うたびに何と物々交換するかを話し合わなくてすむ。だが別にお金自体に価値があるわけではない。同様に,時間があるおかげで,私の白髪の数と惑星の運行の相関を直接調べなくても,白髪が増えるという現象を記述できる。だからといって,時間というものが自然に本質的に備わっているわけではない。
 では,なぜこの世界に,時間というものが存在しているように見えるのだろう? そのヒントは,80年前に英国で行われた1つの実験にある。この実験によると,時間が存在しない静的な世界においても,その一部分で起きている出来事の関係性を記述すると,それはあたかも時間が存在するかのような振る舞いを示す。私たちが日常的に時間を感じるのは,私たちが自分自身を世界から切り離して,物事を見ているせいなのだ」
引用元: 日経サイエンス(2010年9月号)

 ■なぜ人間は「時間」と「空間」を体感するのか

 人間が「生きられる時間」(ウジェーヌ・ミンコフスキー Eugène Minkowski)や「自明性」のある「生き生きとした時間」(ヴォルフガング・ブランケンブルク Wolfgang Blankenburg)をどのようにして体感しているのかについては、生き生きとした時間の流れや空間の広がり(自明性)を喪失してしまった精神病患者の自覚症状と病態を研究する精神病理学の中で長年、考察が積み上げられてきました。

 戦後ドイツで行われた『ツォリコーン・ゼミナール』以降、ドイツを中心に現象学的精神病理学とよばれる精神科医師の一派が哲学者マルティン・ハイデッゲル(Martin Heidegger)の思索を取り入れて、この考察を深めてきました。我が国発の動きとしては、ドイツを中心地とする、この流れに西田幾多郎ら京都学派の「場所の論理」を取り入れた京都大学精神病理学教室の木村敏教授の研究も生まれています。

 また、ゲームAI研究者の三宅陽一郎氏は、人間を含む知的生命体が主観的な「時の流れ」を感じるのは、複数の異なる過去の時点に行った無数の行動(限られた選択肢の中から「選び取った」行動や、自由な可能性のなかから創造的・想像的に「生み出した」行動)が、時差を伴いながら「いま」の状況に影響を与えており、その「いま」のなかで、新たな「未来」(将来)に向かって、あたらしい行動を選び取る・生み出す、そんな連続する行為の流れのなかでのことである、と論じています。

 「普段意識することは少ないですが、生き物はみんな各瞬間に世界と協調しながら行動をつり出しています。行動の選択肢が2つや3つ、はっきりいくつかに表現できる局面は少なく、流れゆく時間の中であらゆる瞬間に行動を作り出しています。
創り出した行動はひょっとすると、一番いい行動でないかもしれません。しかし、止まっているにせよ、行動するにせよ、行動を作り出していることに変わりはなく、そして作り出さないわけにいかないのです。そして、作り出すことが前提の中で、その行動をより良くするのが生き物の持つ行動の原理でもあります。アクションゲームの人工知能も同様です。ノベルゲームやストラテジーゲームでは時間と世界は止まって選択肢を待ってくれるし、はっきりとした選択によって世界が分岐するように作られています。しかし、アクションゲームは各瞬間に行動を生成し、同様に世界も変化します。変化し続ける世界と同じく、変化し続ける行動がミックスされ、新しい瞬間が次の新しい瞬間を作り出していく――そこにおいて、知能は一連の流れを認識しながら、行動を継続、変化、中止、改善するかを身体を通じて監視・干渉し続けるのです。これは、選択というよりは流動的な創造的行為なのです。」
引用元: 三宅陽一郎著 人工知能の作り方「おもしろい」ゲームAIはいかにして動くのか」(技術評論社)pp.119-120.より一部を抜粋

 このあたりは、『存在と時間』の初期の思想段階で、哲学者マルティン・ハイデッゲルが「被投的企投」(過去のいきさつから、ある情況文脈に「投げ込まれた」被投性(Geworfenheit))の情況を所与として、そこから将来(Zu-kunft)に向かって、自らを新しい可能性に向けて投げ出す(Entwurf)、「現存在」(Da-sein)の存在構造(=時間構造)に対する事態の捉え方と似ています。あるいはまた、行動の「流れ」というあたりは、アンリ・ベルクソン(Henri Bergson)の生命観・世界観を看て取る方もおられるかもしれません。

 なお、このあたりは往々にして、サルトル(Jean Paul Sartre)のいわゆる「実存主義思想」と混同する向きがあります。サルトルは、「事実存在Existentia(~がある)は本質存在Essentia(~である)に先立つ(優越する)」というテーゼを持ち出したのに対して、ハイデッゲルは、プラトンとアリストテレスによって素朴な「存在」が「事実存在」と「本質存在」の2者に分断されるより前の、イオニア学派の時代の古代ギリシアの人々が抱いていた「生成」(ピュシス)的な「存在」(の感受性)こそが、現代に復興すべき「存在」観なのであって、サルトルのように、「本質存在」と「事実存在」が峻別された地点から論を起こして、後者(実存)が前者に優越する、などと主張すること時代が、問題の立て方を誤っている、として峻拒する姿勢を、サルトルの「実存主義」とハイデッゲルの「存在の思索」の違いをハイデッゲルに問うたジャン・ボーフレ(Jean Beaufret)に宛てた1947年の書簡「ヒューマニズムについて」のなかで明確にしています。

 私は、サルトルはこのあたり、ハイデッゲルや西田幾多郎や田辺元や久松真一ら京都学派の面々と比較すると、その思想は、十分な深みにまで達し切れていないように感じられてなりません。

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。