■ラングランズ・プログラムと圏論

 ラングランズ・プログラムを通して、数学と物理学の背後にある「より根源的・実体的な秩序」が潜んでいる可能性について、想いをめぐらせてみました。

 数学の諸領域の間に成立しているかもしれない「つながり」(の可能性)を解き明かそうとして始まったラングランズ・プログラムが、実は数学と「量子物理学」の間に潜んでいるかもしれない「つながり」にまで、その適用範囲が及ぶかもしれない可能性を提示している論文としては、Edward Frenkel(2005)”Lectures on the langlands program and conformal field theory” があります。

 また、前回と今回の記事の表題を構成している「圏論」の視点も重要です。

 「数と数との間に成立しうる関係」といった数学的な事象を高度に抽象度の高い地点から眺める機会を与えてくれる圏論(Category theory)がもつ視界から、数学の諸領域の間の「つながり」(共通構造)や、場合によっては数学と物理学の背後に潜む「より根源的」な「共通構造」について考察することが可能です。

 ラングランズ・プログラムと圏論をこのような問題意識から論じた論考としては、Michael Rios(2015)“On a Final Theory of Mathematics and Physics” があります。

■論理学と数理学も実は同じものか

 ラングランズ・プログラムにおいて重要な概念をなしている「双対性」(そうついせい)の観念と「圏論」の視点を研ぎ澄ましていくことで、論理=推論規則(論理公理体系)もまた「数学=物理学」の背後にある「真に根源的な秩序のかたち」に合流し、回収され、そこに合一(帰一)するかもしれない可能性があります。

 この連載シリーズの主題である人間以外の知性体による「言語」の「創発」によって誕生しつつある「AI語」が、人間がこれまで理解してきた範疇の埒外にある「なにか未知の推論規則」によって、何事かを思考していると(人間からみて)合理的に解釈しうる地点に逢着したとき、私たち人間は「ひょっとしたら、目の前で繰り広げられているAI Agentたちの思考のロジック(「未知の推論規則」)は、今日の私たちが、「数学」と「物理学」と「論理学」という、3つの「異なる領域の構造体」であると思い込んでいる3者の背後にある、より「根源にある秩序の作用機序」に則っているのかもしれないという可能性をあらかじめ可能性として含み置いておくことが、必要なのかもしれません。

 この可能性を私たちがあらかじめ心得ておくことで、AI語が静かに「語っていること」に、より真摯な態度で耳を傾けることができるかもしれないからです。

■論理=推論規則とは何か

 推論規則を主題として向き合ってきた数理論理学と、数の間に成立しうる秩序の構造について考究してきた群論や圏論は、今後、融合の道を歩むのかもしれません。

・ なにか(etwas)となにか(etwas)の間に、連関性・関係を見出すこと
・ 関係と関係の間に、同一の構造=数学でいう同型性を見出すこと
・ 関係を定義するとは、いかなる事態(出来事event)か
・ 同型性を認めるとは、いかなる事態か
・ 型や射(arrow)の概念とはなにか

 この段になると、そのなかである種の演算が完結する(閉じている)1つの構造秩序体の存在を認める群(論)の思考や、圏論や体論などの、抽象数学の目線の高さにまで飛翔して、考察を行わねばなりません。

 人間はまわりの環境のなかに、なにか(etwas)の存在を認めるとともに、そこに関係性を見出し、なにかの時間的展開を看て取ります。

 その展開の様式、展開の規則、展開のパターン、展開の類型を、幾多の異なる推論規則で捉えてきたのです(初回の記事で取り上げたように人類は、1階述語論理や2階述語論理、様相論理や「場所の論理学」など、複数の公理論理体系(論理規則)を発見してきた)。

 だとすると、推論規則(論理公理体系)と群論、圏論、体論とは、どう切り結ぶのでしょうか。

 そして、数学と物理学の背後には数学も物理学も、その一側面を捉えた断片的な描像でしかないような、なにか根源の秩序体が隠れているのかもしれません。その「何らかの」秩序体と、推論規則(論理公理体系)との関係は、どのようなものなのでしょうか。

■AI言語を解読する上で、数理論理学・群論・圏論は役立つか

 論理の世界と、群論や圏論の世界を架橋する研究を行っている研究者としては、「圏論的双対性」の観点等から「圏論的統一科学」の構築に取り組んでいる京都大学白眉センター助教の丸山善宏博士がいます。

 研究者の略歴情報アーカイブ・ウェブサイト「researchmap」によると、同氏は「なぜ宇宙(“Uni”-verse)は一つなのに学問は幾つもあるのでしょうか。」という問いを掲げています。

 そして、「圏論や普遍代数」を用いた「数学/物理/情報/言語における様々な双対性」と、哲学における「新カント派マールブルク学派の認識論の中に存在すると考えられる双対性概念」とを架橋し、統一的なひとつの視点から一望の下に捉えることで、「こうした双対性の数理と哲学の探究を通じて、この1つの世界を1つの世界として1つのカンバスに描き切る事、即ち近代以降の文理断裂と諸学問の断片化細分化を乗り越え、失われた統一的世界像を恢復すること」を、「最終目標」として掲げています。また、同氏が所属する京都大学 白眉センターのウェブページ上では、同氏の問題意識がより簡潔に、以下の文章で掲載されています。

「統一体としての世界理解を志す自然哲学の衰退した近代以降、文理断裂と科学の専門化・細分化により人類の知識体系は個別の特定領域に最適化され断片化してきました。その結果、現代は世界の統一的描像を欠いた時代となっています。西周の「百学連環」や京都学派の「近代の超克」を統一科学の問題として再考しながら、万物を「圏」という構造ネットワークとして捉える「圏論的統一科学」の立場から先端の数理科学の知見を人文学の概念的視座と融合することにより知のネットワーキングを実現し、新たな情報論的「統一的世界像」の構築を目指すのがこの白眉プロジェクトです。京都学派の志した「現代に於ける根本課題としての統一的世界像の建設」という理念の実現が最終目標です。」
引用元: 京都大学 白眉センター

 イタリアにおける文芸復興・人間の「主観」観念の復興を成し遂げた「ルネッサンス運動」以後、古代ギリシア以来、中世以降はキリスト教神学を中心として一体化していた、自然学・哲学・文学・音楽・天文学・芸術などは、諸学分断の時代を迎えました。

 この情勢については、20世紀に入り、C・P・スノウ卿(Charles Percy Snow, Baron Snow)の著書『二つの文化と科学革命』(The Two Cultures、邦訳書は「みすず書房」刊行)によって、知的階層の人々の文壇コミュニティが、いわゆる「文系」人士の知的コミュニティと、「理系」人士の知的コミュニティの2つに引き裂かれて、分断されてしまった、という警鐘を鳴らす論評がなされたことは、有名な話です。

 丸山氏は、その「圏論的統一科学」のプログラムのもと、このような諸学の分断の時代に終止符を打ち、我々の手のもとに1つの統一的な有機的・生命的な世界観を齎すことを目指しています。

 その表題がまさに、「圏論的統一科学」と名づけられた論考の中で、同氏は以下のように、その問題意識の所在のありかを明らかにしています。

 

「圏論とはいわば構造ネットワークの理論である。命題の織りなす演繹ネットワークであれ、物理系の織りなす因果ネットワークであれ、語や文の織りなす意味ネットワークであれ、エージェントやその共同体の織りなす社会ネットワークであれ、それは圏という構造ネットワークの多様なインスタンスに過ぎず、圏論の内に体系的に回収されるものであり、現にされてきたものである。このような探究の結果、例えば部分構造論理の演繹ネットワークと量子系の因果ネットワークが実はかなりの構造を共有していることが分かり、論理という理性の法則の学と物理という自然の法則の学の境界が曖昧になる領域の所在が示された。圏論的統一科学はこのように学問間の構造的連環を解明する方途を与える。
 圏論的統一科学とはこういった科学のネットワーキングの試みであり、近代以降の科学の断裂状態を修復し相互連関を確立することで、ネットワーク化する科学の描像を与えるものである。論理実証主義の統一科学はモニスティックで還元主義的、特に物理主義的なものであったが、圏論的統一科学においてはそれぞれの科学の領野はそれぞれの圏構造により平等に捉えられ諸科学に固有の複雑性が平板化されることはない。
 圏論的統一科学は多元主義的である。そこでは還元主義も物理学の特権性も否定される。スタンフォード学派の唱える科学の Disunity の渦中においてさえそれでも可能なUnity の在り方、即ち還元や一様化ではない、知のネットワーキングとしての Unity を圏論的統一科学は志向する。
 統一のための統一はどんな実質的成果ももたらさず空想的理念にまみれた思弁的絵空事に終始するきらいがある。だが科学の圏論的基礎論は、一方では物理学の公理化というヒルベルトの第6問題を量子力学の場合に解決する手立てを与え、他方では新しい量子情報プロトコルや量子計算アルゴリズムを生みだしてきた。物理学の領域を離れても、圏論的基礎論は例えば自然言語の統計的意味論における同義性判定において既存手法を凌駕する新手法を生んできた。このような実質のある科学的成果が近年枚挙に暇が無いほど積み重なりつつある。
 圏論的統一的科学はこのように理念としてのUnity を超越しておりそれ自体が一つの個別科学であると主張し得るだけの固有の知の体系を備えているのである。」
引用元: 「圏論的統一科学」

■AI語から人類が宇宙の構造を学ぶ時代

 「時間」と「空間」を第一義的な変数(構成契機)として含まない宇宙=「物理学的・数学的秩序」=を織り成す構造を、最初に、無駄なく、簡潔かつ直裁に表現しうるような言語体系と語彙のセット(ボキャブラリ)は、AI Agent集団によって、最初に獲得されるのかもしれません。

 そして、人間は、その「AI語」の文法構造や語法と、AIが彼らのAI語を用いて展開する推論規則を人間が観察することで、私達人間は、自分たちだけの力では到底到達できなかったような、「この宇宙=数学」の構造の真実の姿について、AI Agentから教えられる形で、肉薄することになるのかもしれません。そのとき、丸山氏が直感的に見出しつつある「圏論的なことば」を透かして浮かび上がる、この世界の構造の実像が、より明白に、私たちの目の前に、立ち現れてくるのかもしれません。

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。