■日本に「知恵」はある。足りないのは「自信」と「スピード感」

 この連載シリーズの後半部では、1つ1つ個々の論文を取り上げて、DeepMindの「言語創発」シミュレーションが2018年8月までに成し遂げた成果(外部に公開された部分のみ)を紹介します。

 その上で、「独自の概念」と「独自の推論規則」を獲得するに至るには「今日までの成果」に、さらに何を積み上げなければならないのか、私見を述べたいと思います。そこでは「言語創発」領域以外の人工知能研究で、手がかりとなりそうなアプローチとアルゴリズムを論文ベースで言及します。

 その後に「日本のAI」を考えるために、DeepMind社とは異なる「身体性」と「カオス適応系」の理論枠組みに立脚した、米国(Google)・英国(DeepMind)の後追いではない、日本オリジナルの方法論の姿を取り上げます。

 このような手順で進む後半部が題目に掲げるのは、私たち日本人が「自ら(日本)の持つ」AIの強みを自覚して、「自信のなさ」を払拭して、世界の半導体産業を牽引した1990年代の日本の自信と気概を再び手にして、再度先端テクノロジーの技術開発を自分たちがリードして、世界市場をとりにいこうという覇気を取り戻すことです。

 DeepMind社に代表される「言語創発」研究のすさまじいスピード感をまずは紹介した上で、「米国の後追いではない」この国オリジナルのアプローチを紹介する目的は、この記事の読者の皆様が、「日本の強み」を踏まえたうえで、それぞれの持ち場で、再び世界に向かって戦いにいく姿勢をとるように促したいがためです。

 これが、本連載記事の目的とするところです。

■自らの持つ強みに無自覚な「自信のなさ」こそが最大の制約

 「日本のAI」を含んで「日本の産業力」と「日本の政治力」の潜在可能性(ポテンシャル)の足をひっぱっている最大の理由は人口減少よりも、第一に『自らの持つ強みに無自覚な「自信のなさ」』であると観察しています。

 根拠なき自信喪失が、現在の日本人の可能性をみずから発揮する上で足かせとなり、自らを自らで縛る「自縄自縛の状態」に追い込んでいるのだと考えます。

■ 問題となっている「自信」とは、どのような「自信」か

 日本に欠けている自信は、バブル経済期にはもっていた「エレクトロニクス産業で世界をリードする」「経済競争・産業競争で日本は世界をリードしているし、これからも当然する」という自信と気概(あるいは慢心も内に含みながらも)だけにはとどまらないのではないでしょうか。

 半導体やエレクトロニクスは、量子力学や(光速に近い速さで動く電子を記述するための)「相対論効果」を記述する「一般相対性理論」の知識が要求されるものでした。

 しかし、「卓上計算機」や「パソコン」や「半導体」で日本が世界の市場を席捲していた時代には、一般のサラリーマンやOLのあいだでは、日本のエレクトロニクス産業の根底には、「量子力学」や「相対性理論」を操る高度な研究者と技術者がいたことは、さほど喧伝されませんでした。

 今日の産業界を賑わしている「AI」「人工知能」については、どうでしょうか。

 「AI」を開発するためにも、アプリケーション・ソフトウェアとしての「AIツール」をユーザとして使いこなすためにも、「統計数学」や「データ解析」や「機械学習理論」や「最適化理論」「OR」など、あまり馴染みのない「難しそうな」理論についての、最低限の共用を身につけないと、これからはユーザとしても、自社の事業戦略に適うAIの開発を「AI開発ベンダー」に委託に出す際に、発注者として、どのようなオーダーをだせばよいのか、発注書を書くことすらできなくなる。ビジネスパーソンとして、「戦力外通告」を受けないためには、高校の理系数学から初めて、書店の特設コーナーに積み上げられた「線形代数」や「微分積分」「偏微分」「統計数学」「集合論」「測度論」を平易に説いた「まんが 初めての○○」本を手に取らないといけない。国際会計基準(IFRS)や米国会計基準(US GAAP)や欧州個人情報保護原則(GDPR)の勉強と同時に。

 さらに使い手(ユーザ)としてAIアプリケーションをみずから手を動かして正しくつかったり、分析ベンダーに分析を依頼したり、彼らが持参した分析報告書を理解するためには、「質的変数」や「量的変数」、「p値」や「t値」や「決定係数」や「ダービン・ワトソン比」、分類問題における「再現率」や「適合率」など。これらを「理解し」て、アプリケーションが画面に表示する「分析結果」が意味するところを咀嚼して、会議室のプロジェクターで投影するパワー・ポイント資料に、間違いなくきちんとマーケティング資料や販売計画の資料をおとしこまなければならない。

 「エレクトロニクス産業」時代は、こうした技術を学ぶのは、技術開発職の同僚だけで、自分たちは営業まわりや市場ニーズの掘り起こしに専念していればよかった。

 しかし、今日は営業ひとすじ、経営企画ひとすじ、経理財務ひとすじ、法務ひとすじの「この私」までもが、技術のあれこれを学ばなければならない。

 こうした事情が、「AI」に対する漠然とした「不安」と「負担感」を(サラリーマンとOLではない、今日の)「ビジネス・パーソン」に感じさせているのではないでしょうか。

 さらに顧客の日々の「行動履歴データ」をもとに、「戦略的」「戦術的」にビジネス行動を考える「戦略的思考力」までもが、求められ始めた。

 たしかに、2000年代の前後にも、大前研一のマッキンゼー・アンド・カンパニー流の「戦略的思考」や、「ボストン・コンサルティング(BCG)流」の戦略思考の流行は体験済みである。しかし、そのとき読まされたのは、「文系」の「日本語」でかかれた本であり、企業研修の教科書だった。そこには、統計学も微分も積分も行列も、出てこなかった。

 「戦略的思考」は日本人は苦手なのではないか。 数学とデータを武器に、論理的に考えるのはアメリカが得意で、日本は苦手なのではないか。ディベートで自説がいかにすぐれているのかを相手に呑み込ませるのは、日本流ではない。

 そうだ、日本はこの「論理的思考力」「データと数学」にもとづく「戦略的思考力」が「苦手」だから、この間の戦争に大々的に負けたのではなかったのか。

 「データ」と「数学的分析」と「論理的思考」・・・これらは、日本人が戦争にまけた原因をすべてもってきて、つなぎあわせた最悪の組み合わせではないか。

 そこには、アメリカを相手に「先の大戦」に負けた「敗北感」「戦意喪失感」の記憶までもが、無意識のうちに作用している可能性すら、指摘できるのではないでしょうか。

《2 「バブル崩壊後の経済低迷による『自信喪失』とは異なる種類の『自信』を喪失しているのではないか」に続く》

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。
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