■ 日本は「AI=数理統計学の塊」に強い

 そこで、小野寺が今、(数理と論理の世界に知的興奮を覚える「理系」の素養のある方々は除いた)大多数の同時代の日本人に提案したいのは、標題の言葉です。

■日本人の過去の事績(実績)を知ることで、自分の「マインド・セット」を切り替える

 今を生きる日本人の一定数以上の人々が、
「日本人は総じて、論理的に思考することが苦手である」
→「わたしは日本人である」
→「ゆえに、私も論理的に思考することが甚だ苦手である」

という思いを、自ら意識せず、気が付かぬうちに心のなかで抱え込み、いわば自縄自縛の状態に追い込んでいるのだとしたら、この記事を通じて、
「日本人は総じて、論理的に思考するも、数学的に分析することも、新しい数学をつくることにも力を発揮してきた(過去の「実績」)」
→「わたしは日本人である」
→「ゆえに、私も論理的に思考する能力、数理的に思考する能力が、先天的・生得的に備わっている確率は、決して『低くない』」
→「日本人にうまれた一人として、どこまでできるか、自分も努力して自分の力量を自分で試してみよう」

という方向に、「マインド・セット」を切り替えることができたならば、今回の記事は、その目的を果たしたことになります。

■“GAFA”に恐れおののく「必要のない」日本人

 「AIが人間から仕事を奪う」と言われはじめたこの時代、「自分が」個人として、自信をもてるかどうかという「自分毎の不安」はいったん脇におくとして、国として、日本社会として、日本企業として、米国企業のGoogle, Apple, Facebook, Amazon(GAFA)に対して、「日本は太刀打ちできない」という「自信のなさ」が、多くの日本人の胸に去来し、頭をのぞかせる「現状」は、「根拠にない」不安にさいなまれたものであることを、確認する。それが、今回の記事の1つの目的です。

■日本人には、基礎数学にも応用数学にも優れた人材がしっかりといる

 日本にも、すでに取り上げた京都大学白眉プロジェクト(優秀な研究者(准教授・助手が対象)を俸給付きで採択する京都大学の研究者育成プロジェクト)に採択された丸山助教の他に、それぞれ異なるアプローチで、独自の数学言語を構築中とされる望月新一教授(京都大学数理解析研究所)や黒川重信東京工業大学名誉教授がいます。

 物理学の領域では、「中間子」の存在を物理学理論の文脈から「予言」した湯川秀樹氏に始まり、日本人からは「対称性の自発的破れ」という発想を、世界で始めて世に問うた南部陽一郎氏が出ています。

 さらに物理学では「宇宙背景放射」の観測結果が示していた、”宇宙がいたるところでここまで「均質」なのはなぜか?”という未解明の謎に対して、”それは、極めて小さい体積だった頃の初期宇宙が、指数関数的に急激に、圧倒的なスピードで膨張したからだ”(同じ生地を等方向に当速度で引き伸ばしたら、極大に広がった生地の「どの部分」も、生地の目の粗さはほぼ同じになる)という「インフレーション宇宙論」の「考え方」を、アラン・グース(Alan Harvey Guth。1947年- )とほぼ同時期に着想して、世界に向かって、「「新しい発想」を(新しい「パラダイム」の提示)を提案した佐藤 勝彦も、日本から出ています。

■他にもある「不安の原因」(1)日本人は論理的思考とディベートに「弱い」

 大量の「ビック・データ」を、数理(数学)と論理を尽くして、「合理的」に「分析」する。
 これからは、パソコンの中にある「AIツール」を「使うユーザ」としてのビジネスパーソンは、「ツール任せ」ではなく、みずから「論理的に考え」(”MECE”やら”要因分解”やら)、「何がAIツールに解かせたい問題で」「ツールに、どのようなアウトプット(分析結果)をだしてもらえば」「何が解決するのか」――この一連の思考サイクルを自転車をこぐように無意識のうちに、あたりまえにできるようにならないと、これからは「AIツールのユーザ」社員にすらなれない。

 盛んにこう聞かされて、すっかり気が「滅入る」ってしまっている人が多いのではないでしょうか。では、なぜ滅入るのでしょうか。何に対して、「気がめいる」のでしょうか。
 
 それは、
「日本人は総じて、論理的に思考することが苦手である」
→「わたしは日本人である」
→「ゆえに、私も論理的に思考することが甚だ苦手である」

 この「自縄自縛の思い込み」に、すっかりがんじがらめにされてしまっているのではないでしょうか。

《4 「他にもある『不安の原因』(2)日本人は戦略的思考に『弱い』に続く》

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。
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