なぜ、今日の日本人の「自信喪失」を「根拠なき」ものと認定することができるのでしょうか。

 以下、「日本人は、基礎科学力の構築力も、論理的に主体的に考えて自説を雄弁に論理的に展開して、相手を論破・論駁する能力も、外交交渉における交渉力とそれを支える情報収集・分析力も、生来(元来)、弱い民族である」とする自信のなさが、まったく根拠がないものであることを復数の時代をから復数の反証材料を切り出して提示し、それを挙げていくことで、今日の日本人の「自信のなさ」が根拠のないものであることを明確にします。

 基礎科学力については、望月新一氏(1969年-)、黒川信重氏(1952年-)を取り上げます。 自説を強靭な論理力をもって構築し、他者に対して説得力をもって雄弁に語る対話力については、戦国・安土桃山時代(1650年代)の京都の庶民と仏教僧侶を取り上げます。

 さらに、集めた情報を分析・評価し、政策や戦略の立案に役立てる力については、日露戦役(1904-1905年)の日本、先の大戦における光(短期現役海軍主計科将校制度、総力戦研究所・東機関)と闇(総力戦研究所の報告書を黙殺した軍首脳部、海軍国防政策委員会・第一委員会)に着目します。

■実は「基礎科学」にも「インテリジェンス」にも「弁論・交渉事」にも強い日本人

 ある時代の日本人が、これらの領域で世界トップクラスの力を見せたにも拘らず、「先の大戦」では、その能力がまったく変貌し、変質・劣化していた事実について、司馬遼太郎式に「明治の開花期の日本は優れていたが、昭和に入るとだめになった」といって納得するのではなく、「開花期」と「だめになった時代」の両期間の日本人を貫く連続性と、両期間の間に生じた断続性を明らかにしなければなりません。

 その上で、後者の「断続性」については、何が原因となって、その「下降方向の断続」が発生したのか。ふたたび「上昇方向」へとトレンド(趨勢)を持ち直すには、何ができるのか。

 こうした問いに正面から向き合うことではじめて、私たちは、「歴史から教訓を汲み取る」ことができるのではないでしょうか。

■「構築した仮説」を「実環境」で試し、事後に仮説検証を行うPDCAサイクルをまわすことが鍵

 本稿では、「開花期の日本」と「だめになった時代の日本」との違いは、ひとえに「実地で技を試して失敗したことから自己流の技を見出す実践」経験の有無にあったのではないか、という仮説を提示します。

 この見方に基づいて、明治から昭和前期の日本に至る過程で起きた<<情勢把握に基づき、戦略的に意思決定し、行動し、成功点と失敗点を振り返る批判精神を体現する行動を行う力>>の「劣化」は、「下降方向の断続」が生じた原因は、「実地で技を試して失敗したことから自己流の技を見出す実践」経験を「もはやもたなくなったこと」ことにあったと考えます。
 
 なお、その「昭和前期」の日本においても、<<批判的・合理的に情勢を分析し、とるべき行動を検討・立案する>>動きは、内閣(「総力戦研究所」)や陸軍省(「秋丸機関」)や外務省(「東機関」(”To”機関))において個々に見られたものの、「インテリジェンス・サイクル」の(最も重要な)最後の「政策意思決定にあたり、情報を考慮し、活用する」ということが、組織内の人間関係への配慮や「おもんばかり」や「結論ありき」の組織の「空気」に流されて、ほとんど機能しなかったことが、真に反省すべき「問題」であることを論じます。

 この「問題」をくりかえさないことによって、「克服する」ためには、現代の私たちには、どのようなことができるのか。

 本稿は、「計算機」(コンピュータ)とAIを駆使したシミュレーション(机上演習)をLean analytics的にまわす「仮説検証」と「結果総括・問題点の抽出」と「次なる行動仮説の立案・実施」を、高速に繰り返していくことによって、それも構築した「仮説」の内容(「P」)も、行動実施(「A」)後の成功と失敗の内容を洗い出した結果(「C」)も、(情報管理の観点から許容しうる範囲内で)できるだけ広範囲に「公開」・「共有」することで、「過去の成功モデル」や「結論ありきの組織の空気」を、客観的・計数的(定量的)にリアルタイムに修正していく文化を根付かせることが、問題解決の糸口になるのだという「考え」を提示します。

 この「考え」もまた「1つの仮説」であり、仮説である以上、「実地の検証」によって、その考え方の正否と妥当性が、確認される必要があります。
《2 「『実地』で仮説検証を極限まで高速に回すことで優れたAIベンチャー企業家を育成しているイスラエルの実例」に続く》

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。
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