6月の米朝首脳会談開催を契機に動き出していたはずの「朝鮮半島の非核化」に怪しげな雲が広がっている。その背景にあるのは「チキンレース」だ。そもそも史上初となった米朝首脳会談が実現したのは、世界最強の軍事力を背景にトランプ大統領が軍事オプションを含めた「最大限の圧力」をかけ、それに焦った北朝鮮指導部が応じた「チキンレース」の結果だった。だが、会談後は「圧力」が一気に弱まり、それを見透かした北朝鮮側が非核化プロセスを実質的に進めない状態が続く。「交渉巧者」と評される2人のトップだが、現時点でのボールはどちらにあるのか。交渉過程を踏まえ、現状を専門家の分析とともに紹介する。

■先手を打ったトランプ大統領

 首脳会談実現までの米朝交渉は、「タフネゴシエーター」を自認するトランプ大統領の主導で進んできた。北朝鮮サイドはあらゆるチャンネルを駆使し、それまでの対外交渉と同様の手口で条件や議題の変更、挑発行為を繰り返したが、それらはほとんど通用しなかった。その理由は「米大統領がトランプ氏になったから」(外務省幹部)に尽きる。トランプ大統領は就任後、北朝鮮への軍事オプションを選択肢として真剣に検討するよう指示したとされ、その情報が「本気度」とともに北朝鮮指導部に伝わった。日本政府内に「トランプ大統領は北朝鮮に対して『核』を使用するのではないか」(政府関係者)との声が漏れたのは、昨年夏の頃だ。

 安倍晋三首相もトランプ大統領との度重なる首脳会談で「本気度」を確かめ、政府内の限られた関係者には密かにシミュレーションさせていたという。4月に文在寅韓国大統領が板門店での南北首脳会談に臨み、「友好ムード」一色のまま米朝首脳会談に繋がったが、その背景には「何をするか分からないトランプ大統領の怖さがあった」(防衛省幹部)というのが実情だ。

■玉虫色の合意、見えぬ「成果」

 北朝鮮は、トランプ大統領との米朝首脳会談を前にした5月下旬、北東部・豊渓里の核実験場を爆破し、外国メディアに公開した。専門家からは「パフォーマンス」「政治ショー」などと酷評されたシーンは有名だが、この爆破はトランプ大統領が一時発表した「米朝首脳会談の中止」の数時間前に発表されている。首相官邸関係者は「北朝鮮は米国の顔色をうかがうほど首脳会談にこだわっていた」と語る。

 だが、これだけトランプ大統領のペースで交渉が進んできたにも関わらず、6月12日に開催された首脳会談で変化が生じた。それは「米国にとってフックが甘いと言われても仕方がない合意」(外務省幹部)に端を発する。11月の米中間選挙を前に「成果」にこだわったトランプ大統領は「歴史的な米朝首脳会談の実現」というフレーズに酔い、金正恩委員長の体制を保証することを約束した一方、北朝鮮には非核化に向けた取り組みを求めるだけに終わった。「非核化プロセスはとても迅速にはじまる」とメディアを通じて世界中に豪語したが、3カ月近く経過した今日でも目立った「成果」は現われていない。

■足元見られて「攻守」交代?

 さすがに業を煮やしたポンペオ米国務長官は8月下旬、4回目となる平壌入りを画策したが、現時点で劇的な進展が得られないと判断したトランプ大統領は急遽ストップをかけた。米朝首脳会談で金委員長との「個人的な信頼関係」を築いたとするトランプ大統領だが、膠着状態を打破できる見通しは立っていない。

 それどころか、2016年米大統領選でのロシア疑惑を捜査している特別検察官が、トランプ大統領へ疑惑に関する聴取・回答にこだわりを見せているほか、米紙ニューヨーク・タイムズが9月5日、「トランプ大統領の行動は有害」などとする匿名の政権幹部の寄稿を掲載。著名ジャーナリストのボブ・ウッドワード氏の政権批判本をきっかけにマティス国防長官の更迭がささやかれるなど、トランプ大統領は「四面楚歌」の状態にある。

 また、訴追されたトランプ大統領の個人弁護士を務めた人物や元選対幹部をめぐっては、トランプ大統領の不倫相手に口止め料を支払ったのは「指示があった」などと証言。これらをきっかけに米国内では「トランプ氏が大統領任期中に弾劾されるのではないか」との見方も芽生えつつある。

 金正恩委員長は9月5日、18日からの南北首脳会談調整のため平壌を訪れていた韓国の特使団に対し、2021年1月に迎えるトランプ大統領の任期満了までに「朝鮮半島の非核化」を実現したいと伝達。非核化の具体的な期限に初めて言及し、「良い成果を得られた」(文在寅韓国大統領)と関係者を喜ばせた。だが、ある日本政府高官は冷ややかに受け止め、こう一笑した。

 「金正恩委員長が『期限』に触れたのは、トランプ政権が揺らいでいることを踏まえてのものだろう。体制保証につながる平和協定の締結になかなかサインしないトランプ大統領がもし弾劾されるようなことがあれば、これまでの米朝間の話はすべて『パー』になる。最大限の圧力をかけたのはトランプ氏だが、そのトランプ氏がいる間でなければ平和協定は勝ち取れないと思っているはず。ふらつきだしたトランプ大統領を北朝鮮が『支える』という不思議な構図で、今後の非核化交渉はどう転ぶのか複雑すぎて見通せない」

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