■憲法レベルの統治構造の問題

 なお、本稿の上記の視点とは別に、旧明治憲法下の「国務」(天皇輔弼)と「統帥」(天皇補翼)の分離と、「国務」内での首相の位置づけの弱さ(閣僚の任免権を持たない。閣内意見不一致がただちに内閣瓦解に直結する)(本記事執筆者が見るところ、これらに加えて軍部大臣現役武官制の存在)という統治権の定義構造が『明確な決定を避ける「非(避)決定」や矛盾する議論を併記する「両論併記」といった玉虫色の決定を糊塗的につづけていた』『当時の「日本の「国策」決定システムであった」(p.32)ことに着目している森山 優(著)『日米開戦と情報戦』(講談社現代新書)については、ここで言及するにとどめておきます。

■現代日本における「組織と権限」の問題の解決に向けた取り組み

 なお、1つの国家として、外交政策と安全保障政策を、一体不可分の「対外政策」として討議し、意思決定する「国策立案・決定機関」を整備することについては、戦後もずっと課題として残りつづけ、安倍晋三内閣のもと、会議体としての「国家安全保障会議」と実務官僚部局としての「国家安全保障局」が、内閣総理大臣と内閣官房長官のシビリアン・コントロールのもと、ようやく内閣に設置されるに至ったことは、すでに周知のとおりです。

 この組織体系について、国防を所掌する防衛省(旧・防衛庁)の内部に立ち入ってさらに子細に眺めていくと、防衛大臣を「政策的見地」から補佐する「背広組」(官僚)と「軍事的見地」から補佐する「制服組」(防衛大学校または一般大学卒業後、陸海空幹部候補生学校を経て自衛官に任官宣誓した制服組自衛官)が、防衛大臣に対して対等な立ち位置に立って、大臣を補佐する(一部、英国式に、背広組・制服組の混成組織も編成)組織体制・態勢に以降したのも、ようやく最近のことです。

 また、報道によると、(戦後、陸上自衛隊による「5.15」や「2.26」のようなクーデターを避けるためとも一部ささやかれる)全国の自衛隊を北部方面総監部など、複数の総監部を配置する(ことにより、一人の中央司令官による全国の陸上部隊の動員を制度的・組織的に不可能にする)体制から、陸上総隊を設置し、「陸上総隊司令官」が日本全国の部隊を指揮する体制への移行が目指されているほか、(一部報道ベースで報じられたところの)今後は、統合幕僚長・統合幕僚監部を陸海空3自衛隊の統合運用戦略と統合運用計画の研究開発・立案に専念させて、これまで統合幕僚長・統合幕僚監部が担ってきた部隊の指揮運用は、新設する統合司令官に移管する組織改変案が内閣・防衛省内で検討中であるとされます。

 後者が実現すれば、アメリカにおける統合参謀本部議長【軍種(陸海空海兵・宇宙・サイバー)の垣根を越えた全軍の運用戦略ドクトリンの研究立案および訓練計画に専従】と、太平洋軍司令官や大西洋軍司令官・中央軍司令官等【各戦域の方面軍・艦隊の指揮運用に専従】に近づくこととなり、所掌業務のサイズを、1人の部隊指揮官・指揮官補佐部局がさばききれる(特に戦闘による兵員の欠員と、業務量の膨大化が発生する防衛出動時や災害出動・治安出動時において)ように変更していくことは、いざというときに、無理なく、長期間、持続可能なかたちで機能する自衛隊を構築していく上で、重要なことです。

 なお、持続可能性という観点からは、陸海空自衛隊は、平時の任務をまわしていく上でも、定員未充足等による人員不足の問題があり、自衛官採用上限年齢の引き上げや、自衛官の定年年齢の引き上げなどによって手当てが行われているものの、防衛出動や災害出同時において、任務配置中の自衛官・休養中の自衛官・訓練中の自衛官という3個体制で順次、ローテーションを回していくことで、休ませながらまわしていくように運用していく上では、人員不足の問題を解消することは、有事や大規模災害時の自衛隊のパフォーマンスを一定期間、維持する上で、喫緊の課題です。先の大戦中、米軍の将兵は定期的に母国に帰還し、休息をとることができたが、日本陸海軍は、一度出征したら、任務配置についたまま(結果、疲労が蓄積し、適正な判断力が奪われていく)という状況に置かれていたことを忘れてはいけません。

 このあたりは、この連載シリーズの最初の方の回で考察したように「言語創発AI」型「無人Vehicle」が戦力の一翼を担うことで、部隊から「人員」を要する業務や部隊を次第に減らしていくことが(自衛隊・軍の無人化)、1つの解決になりうるし、「慢性的な人手不足に悩む」点を積極的なきっかけとして活かすことで、むしろ部隊の無人化を(米軍との互換性inter-operabilityを保ちながら)諸外国の軍よりも精力的に推し進めていく動機づけとして活用することができるかもしれません(部隊運用基準の枠内で、無人AI装備を稼働させる仕組みを早急に検討すべきという点は、すでに過去の記事で述べたとおりです)。

■「南部仏印進駐」とその直後の日米(英蘭)開戦の一時期に焦点をあてて考察する

 どのような国を相手にする戦(いくさ)であっても、開戦に際しては、通常、以下の見通しが立っていない戦は、目的なき泥沼化した戦争になる確率が高いです。

・これを
・この程度、達成したら戦闘を終了させて兵を撤退させる。
・この条件であれば、
・戦闘終結交渉を相手方も(国内世論等を勘案して)受け入れることができるだろう。
・そして、
・終戦後の(国際もしくは地域)情勢は、戦闘開始前よりも、我が方にとって望ましい環境になり、その戦後秩序は長期間、安定的に持続可能である。

 1937年7月7日の「日華事変」(「盧溝橋事件」)などを大きな節目とした日本の中国(蒋介石率いる中華民国)を相手とした一連の戦闘・紛争・全面戦争も、中国国内の「国権回復運動」などの(こんにちでいう)ナショナリズム(あるいは、民族自決意識の高まり)を受けて強まりを見せた「日貨排斥事件」や日本人排斥運動と、日本海軍陸戦隊や日本陸軍の出先部隊との間の「小競り合い」から始まり、やがて、近衛文麿首相による「国民政府を対手(あいて)とせず」声明や、汪兆銘による傀儡政権の樹立など、大陸内部に際限なく深入りしていくなかで、中華民国の蒋介石と「終戦講和交渉」を行う機会を設けることもできず、泥沼化していきました。

 この点、ジャングルの地中に地下回廊(塹壕)をはりめぐらせて、神出鬼没に米兵の前に出現してはゲリラ戦法で米兵にじわじわと長期持久戦による損傷と疲労を蓄積させていった北ヴェトナム軍に対して、「兵力の逐次投入」をもって向かったヴェトナム戦争期の米軍も、明確な戦争目的のない、泥沼化した戦争に自らを引きずりこんでいったものの、大統領の意思決定によって、北ヴェトナムのホーチミンと終戦交渉のテーブルについて、終戦を合意し、すべての将兵が大統領の決定に従って整然と撤退・退却しえたことは、日中戦争にのめりこんでいった昭和前期の日本と(ヴェトナム戦争期のアメリカとでは)雲泥の差があります。

 しかし、日中戦争から日米(英蘭)開戦までを論じようとすると、日露戦争後に日本がに南満州の権益を獲得したことから論じなくてはならなくなります。とりわけ、(日露)戦後の「南満州」の経済権益をめぐって、日米の「国益」を両立・共存させるためのひとつの妥協策であったとされるアメリカの鉄道王・ハリマンと桂首相(当時)との間でいったん合意・成立をみた「桂・ハリマン協定」を、外相・小村 寿太郎が反故にしたこと(「日比谷焼打事件」を覚悟してまで、ポーツマス講和会議に臨んだ外相・小村寿太郎に気兼ねして、伊藤博文首相もこれを了解したとされる)から、「中国大陸」における日米の経済利権の対立構造が生まれた、とするあたりから論じなくてはならなくなります。

 日本の対外関係史を概説することを目的としてはいない本稿では、「桂・ハリマン協定」の締結と(日本による)破棄から、歴史の針を大きく前に進めて、日米(英蘭)開戦を引き起こす決定的な契機と位置づけられることの多い日本による「南部仏印進駐」の前後に焦点を当ててます。

 そこでの主題は、日本の「北部仏印進駐」から、日米交渉(いわゆるコーデル・ハル-野村 吉三郎の日米交渉)、米国による「在米日本資産凍結」、日本の「南部仏印進駐」、アメリカはじめイギリス、オランダがつづいた「対日石油禁輸」と「ハル・ノート」(そこには「最後通牒」とは明記されていなかった)と続いて、ついに、日本陸軍による英領マレー半島侵攻作戦および日本海軍機動部隊による真珠湾攻撃作戦の発動に至るまでの意思決定が、どのようなプロセスのなかで、いかなる力学が作用して発生したのかの「一側面」「一断面」を考察することです。

 取り上げる対象も以下に絞ります。

・【 海軍省軍務局・海軍軍令部作戦課 】海軍国防政策委員会・「第一委員会」
・【 陸軍省 】陸軍省戦争経済研究班(すでに前触れとして触れた「秋丸機関」)
・【 内閣 】総力戦研究所
・【 ストックホルム駐在武官室 】小野寺 信ほか
・【 駐米日本大使館・海軍武官室 】海軍武官・横山一郎、海軍武官補佐官・実松 譲、日本側が運用していた英国人エージェント(コードネーム:「ニイカワ」)本名:フレデリック・ラットランド

 このうち、最後の駐米日本大使館・海軍武官室をめぐる出来事は「日米開戦への道 知られざる国際情報戦」(2013年12月8日、地上波放送)を書籍化した山崎 啓明(NHK番組ディレクター)著『インテリジェンス1941 日米開戦への道 知られざる国際情報戦』(NHK出版)を参考にします。

■実戦環境から遠のくことで「官僚的」「観念論的」「過去の成功体験」にとらわれた思考に局所最適化していった昭和のエリート軍人たち

 「日独伊三国同盟」締結(1940(昭和15)年9月27日)後、海軍として、アメリカ・イギリスとどう向き合っていくのか、海軍省・海軍軍令部が一体となって意思決定を図ることで、強大な発言力をもつ(日本)陸軍省・参謀本部に対して、海軍として信じる「日本のとるべき進路」を受け入れるよう要求していく必要性を感じて、1940年12月12日、海軍は、「海軍国防政策委員会」を非公式に設置しました。

 複数の委員会からなる、この「国防政策委員会」のなかでも、海軍において、その後、事実上、海軍全体を代表して数々の重大方針を決定する、少数精鋭のクローズドな中核チームとなったのが、「第一委員会」でした。

 この第一委員会は(海軍全体の予算編成と人事計画をつかさどる)海軍省における政策中枢部局であった「軍務局」と(海軍の軍事戦略と作戦計画を立案する権限をもつ)海軍軍令部の中核部局であった作戦課部局の双方から、事実上の筆頭課長たちを、結集させたチームともいうべき存在でした。

 しかし、後に詳しくみていくように、この海軍省と海軍軍令部のエースたちを揃えた「第一員会」の参謀たちは、いずれも実戦経験がなく、『現実の環境からの「報酬」・フィードバック』(AIにおける強化学習的な表現)がないまま「観念論的な思考」と「予算獲得」と自己が所属する組織の権益の維持と拡大にひた走る「官僚思考」とに、「局所最適化」していきました。

 この点は、すでにみた「タルピオット」や、「短現」の海軍士官や、京の都での地を血で洗う死闘と、「薩英戦争」や「馬関戦争」を含む幕末動乱期の混沌のなかで、鍛えられた志士たちが、いずれも、「実戦」の「実環境」のなかで、みずからの大儀と命をかけて試行錯誤していくなかで、「実環境」からの正(成功)や負(失敗)の「フィードバック」(AIの強化学習モデルの用語しては、「報酬」)を受ける過程で、その情報感度と戦略戦術力(「行動政策関数」)を鍛え上げていった、のとは、大きく異なります。

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AI研究家 小野寺信

AI研究家 小野寺信

1944年、長野県生まれ。カナダ在住。1930年代の「物」論考、「哲学への寄与」論考など、いわゆるハイデッゲルの中期思想と、西田幾多郎ら京都帝大の「場所の論理学」の思想の架橋を志すも、九鬼周造の「偶然性の哲学」の文章に触れて、己の非才を悟り、断念。計算機科学と知能の計算論的再現に惹かれ、人工知能の研究に励む日々を送る。若いAI産業人や大学・大学院生に対して、カオス理論と身体性に立脚した「米国の後追い」ではない、我が国自身の「AI研究アプローチ」が実在することを知らせる必要性を痛感し、連載をスタートした。
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